とてもすごく恥ずかしい話
私は友達が少ない、いないと思っていました。
友達だと思ってくれる人はもしかしたらいるかもしれないけれど、私が友達だと思っていなかった、信用しきれていませんでした。
なぜそう思っているのか。
それは私が自分のことを信用できていないからです。
どうせそんなこと思っていない、おべっかだろう、と考えて人のことが信用できませんでした。
そして私のことが一番わかるのは私だと。
でもそれを考えているのは彼らではなく私でした。
そして私は私のことすらよくわかっていないのに、わかると思っていました。
彼らが内心でどう思おうが、私に伝えてくれた言葉は事実であり、現実です。
私がそれをフィルターを通して勝手に歪めて受け取っていたのです。
私が物事を素直に真っ直ぐ受け取れていないのが原因です。
それがなんとなくわかった時、とても恥ずかしくなりました。
今も含めてこの私は何も成長していなくて、子供なのだとはっきり感じました。
人の気持ちを汲み取っていると思いながら、現実から目を背けて自分のことしか考えていなかった。
そんなことを続けていたら、そりゃあ人は離れていきます。
穴があったら入りたいという気持ちがとてもよくわかります。
こんなに恥ずかしいことをこのままにしておくわけにはいかない。
なんとか変わりたいと強く、強く思いました。
私が今感じている恥ずかしさというのは、今接してくれている人たちに対する裏切り、悪いことをした、そしてそれを長い間気がつけなかったという恥ずかしさです。
本当にごめんなさい。
一人ひとりに直接言って回ったほうがいいのだろうか、いやそんなことも私の自己満足です。
私が彼らを信じていなかった過去は変えられません。
そして彼らには一点の落ち度もなく、悪いのは私です。
許してもらえるなど思えません。
私に出来ることはこれから行動で表すことです。
直接触れた言葉や現実を歪めず真っ直ぐ受け取った上で考えることです。
そしてこれを今書いているという意味は私がこうなりたい、という意思表示です。
形として残す責任を、私は取る必要があるのです。
哲学?する面白さに気がついた話
二十数年生きてきて、毎日生きにくいなあとか、どうして自分ばかり悪い目に合うのだろうと思うことが多かった。
とにかくモヤモヤが溜まっていったり、周りがうまく動かないからだと怒ったりしていたことが多かった。
しかしまあそんな状態で身体も気持ちも健康で生活できるわけもなく、病院に長くお世話になっており、いつまでこんなこと続いていくのかな、なんて考えていた。
何年もそんなことを続けていて、さすがにまずいと思い、行動を起こすことにした。
何か自分を変えてくれる言葉や本があるのではないかと思って、気になった自己啓発本なんかを読んだりしていたが、どこかしっくりこない。
心理学の本を読んでみてもしっくりこない。脳波が云々、ホルモンが云々という説明や理論はわかるがどうも腹の底に落ちてきてくれなかった。
そういうコミュニティに行ってみて、同じような生きにくさを感じているはずの人と話をしても、気持ちは晴れなかった。
確かに話をしているときはいいが、何も前へ進めないような気がした。
ずっと私は生きづらいままで生きていくんだろうな、なんて悲劇のヒロインに浸りながら、いつものようにネットサーフィンをしていたとき、本の紹介のまとめを見た。
オススメの本教えて!とある記事にはたくさんの本が載っていた。
そこに載っていた池田晶子さんの「14才からの哲学」という本に目が止まった。
そういえば哲学の本って読んだことないな?
いや、高校生の頃「ツァラトゥストラはかく語りき」を読んだけどよくわからなかった。
でも14才からのっていうんだからわかりやすいだろ、ちょっと読んでみるか。
という軽い感じで本を読み始めたのだが、まあこれがとにかくすごい衝撃だった。
私の悩みが言い当てられたわけでもなく、なんの回答が返ってくるわけではない。
でも私が今まで確実だと思っていたものが全てドロドロに溶けたような気持ちになった。
そのドロドロの中から形を作ることの楽しさを知った。
そこからみると今までの不満や疑問がとても小さく見えた。
私が考えることの可能性を知った。
すごい広いところに出たようだった。
ドロドロから形を作ることは今までやったことの中で一番楽しい。
そしてそれが哲学をする事なのだと私は感じた。
私は変わったわけではないけれども、なんだかいろんなものが楽しく見えるようになってきた
それは哲学のおかげなのではないかと思ったりしている。
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何かを表現したいのだけれどうまくいかない。
絵を描いたりなんだりすることもなんだか噛み合っていない気がする。
もやもやしながらも考えながら整理をすることがそれなりに楽しいと気がつき、何かを残しておきたいと漠然と思い始めたので、ブログを始めようと思いました。
哲学を考えるのが楽しいので、ほとんどが在りようを考えることをしていることになるような気がしますし、他のことも書くような気がします。
たくさん書きたかったら書いていいし、書きたくなかったらしばらく書かなくてもいいんだよと自分へ